朝熊岳金剛證寺:伊勢神宮を守るお寺

朝熊岳金剛證寺:伊勢神宮を守るお寺

このお寺の本堂に足を踏み入れた瞬間、とても神聖な場所にいるのだとわかりました。
どの宗教、どの神(々)の信者であろうと、金剛證寺の敷地内に入れば同じように感じるでしょう。

Written by Mutlu Sayar

金剛證寺は三重県伊勢市の朝熊山山頂付近にあります。
真言宗の開祖であり、日本の宗教史において最も畏敬される人物のうちの一人である、弘法大師によって建てられました。

この寺へ行くために、私は近鉄五十鈴川駅前から「参宮バス」に乗りました。

このバスは、「天空のドライブウェイ」として知られる伊勢志摩スカイラインに入ります。
バスが朝熊山を登るにつれて、伊勢湾岸の美しい景色を見ることができました。

2つ目の金剛證寺バス停でバスを降りました。
少し雨が降っており、雫が地面や高い木の葉の上に落ちる音が神秘的な雰囲気をつくり出していました。

門を通って、左へ進み、狐の像に守られた赤い鳥居とその後ろに小さな社を見つけました。
これらはすべて神道のものです。なぜ神道の社が、仏教の寺の敷地内にあるのでしょう?
これについては、これから訪れる本堂で職員さんが説明してくれました。
彼はとても親切で、普段は御祈祷の申込みをした方しか入れない本堂の中に入れてくださいました。

仏教寺院では、礼拝のための主要なものは、その他の重要な畏敬の対象物と同様に、本堂の中に安置されています。
古くは、このような建物を指して“金堂”という言い方も使われました。
金堂という文字は、「金色のホール」と書きます。そしてここに入った瞬間、まさにその通りだと感じました。
この部屋はすべてが金をまとっており、柱や、天蓋、花瓶やその他の工芸品も非常にきらびやかでした。

この寺のご本尊は、厨子と呼ばれる小さな寺のような見た目の収納具に安置されており、私たちが見ている像は仮の姿です。
それは本堂の真ん中にあり、20年に一度だけ見ることができます。
伊勢神宮で20年ごとに殿舎を別の敷地に新設する式年遷宮と似ています。
金剛證寺の本尊御開帳は、伊勢神宮の式年遷宮の一年後に行われます。

本堂には、徳川幕府の創始者で日本の歴史上最も重要な人物のひとりである徳川家康の像もありました。
徳川家康はこの寺の支援で非常に重要な役割を果たしました。
ですので、彼の像は敬意の表れとして、他の宗教的なものとともに本堂に置かれています。

伝統的な日本の風水では、北東の方角は不運になると考えられており、悪霊がこの方角から入ってくると信じられています。
金剛證寺は古来、日本で特別な神社として敬われてきた伊勢神宮の北東に位置しており、神宮の霊的に脆弱である北東の方角を守るものとみなされてきました。
神道と仏教は異なる宗教ですが、この場所では同時に崇められています。
日本には神道の日本土着の神と、外来の仏を調和・融合させ、同時に信仰するという独自の宗教観念があります。

なぜ仏教寺院の金剛證寺が、神道の伊勢神宮を守っているのか理解しました。
このようにして、先ほどの私の疑問は解けました。

本堂の正面、階段を降りると小さな池があり、クロード・モネの絵を想起させるピンクの蓮の花に覆われていました。

池の真ん中には、モネの手で描かれそうな、赤くて古い木製の弓型の橋がありました。
この池は多くの宗教的なシンボルやお堂、そして自然に囲まれていました。

本堂の右手側の小道を進むと、また別の門がありました。
この門は「極楽門」といって、「楽園の門」を意味しています。
この門は非常にユニークな墓地に囲まれた通路に向けて開いていました。
墓石や仏像と同様に、故人の死後の名前が書かれた長い木製の柱がありました。

これらの柱は「卒塔婆」といって、サンスクリット語の「ストゥーパ」を日本語に音訳したものです。

小道はこのユニークな墓地に沿って、奥の院まで続いていました。
奥の院から出るには、来た道を戻るしかありません。極楽門から出て、左手側の道を進みました。

ほんの数分歩くと、この上り坂の道は朝熊山の展望台につながっていました。

昼食で伊勢の名物料理のひとつである伊勢うどんを食べました。

展望台では伊勢志摩と伊勢湾の素晴らしい景色が見られます。

さらに公衆の足湯もあり、この景色を楽しみながら、疲れた足を休めることが出来ます。
この景色を見て、私の頭が雲のすぐ下にあることにはっきりと気づきました。

展望台の庭には赤く古いポストがあり、恋人たちが集まる場所として人気です。
現役のポストで、伊勢志摩にあるものの中で最も高い場所にあります。
このポストと一緒にポーズをとって写真を撮るのが、若い人々の間で人気のようです。

これで私の巡礼は終わりました。
有名な伊勢音頭の一節でうたわれたように「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」なのです。
これらのすべてを訪れて、私はまた参宮バスに乗り、巡礼者として伊勢の町に戻っていきました。

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