天下分け目の古戦場、岐阜・関ケ原を歩く 静かな盆地に残る、見えない戦場

山々に囲まれた岐阜県・関ケ原。実際にこの地に立ってみても、ここが日本の歴史を決定づけた戦場だったとは、すぐには信じられませんでした。視界に広がるのは田畑と山並み。人の気配もまばらで、とても大軍がぶつかり合った場所には見えません。
しかし1600年、この場所で約15万の軍勢が激突し、わずか半日で戦いは終わりました。この戦いを境に、日本は長い戦乱の時代を終え、江戸時代へと向かっていきます。いま目に見えるのは、あまりにも穏やかな風景です。けれど、この静けさの中にこそ、かつての戦いの痕跡が残されています。関ケ原は、“見えない戦場”を歩く場所なのかもしれません。

 

関ケ原の戦いとは 日本史の転換点となった戦い

夏草や 兵どもが 夢の跡。

芭蕉が平泉(岩手県)を訪れた際に詠んだ有名な句です。かつて武士たちが栄誉を求めて戦った場所も、時が過ぎればすべては夢の跡のように感じられる。そんな人の世のはかなさを詠んだ一句です。季節も状況も違いますが、この地に立つと、この句がふと頭に浮かびました。目の前の風景が、あまりにも静かだったからです。

関白(天皇の補佐役)・豊臣秀吉の死後の1600年、日本の覇権を巡る争いが起こります。徳川家康率いる東軍と、石田三成らによる西軍が関ケ原で激突しました。この戦い等の結果、戦国時代は終わりを迎え、日本は260年以上続く江戸時代へと進みました。関ケ原は、中世から近世へと移り変わる歴史の分岐点となった地なのです。

関ケ原の戦いは、わずか6時間で決着したことで知られています。しかし、その裏では戦いの前から激しい駆け引きが続いていました。徳川家康は、西軍の武将たちに密かに手紙を送り、味方につくよう働きかけていたといわれています。その一人が、小早川秀秋でした。戦いの当初、小早川は西軍として陣を構えながら動きませんでした。しかし戦いの途中、ついに東軍へと寝返ります。この行動をきっかけに戦局は一気に東軍へと傾き、東軍の勝利が決定的になりました。関ケ原の戦いは、単なる軍事衝突ではなく、武将たちの思惑や決断が複雑に絡み合った戦いでもあったのです。

関ケ原に立っていると、不思議な感覚になります。ここが日本の行方を決めた戦場だと知っていても、目の前の風景はあまりにも静かだからです。田畑が広がり、風が抜けていくだけ。戦いの気配は、どこにも見えません。

関ケ原古戦場周辺では、戦国武将のイラストパネルを見ることもできます。

展示 まずは「岐阜関ケ原古戦場記念館」で戦いを知る

関ケ原を訪れたら、まず訪れたいのが「岐阜関ケ原古戦場記念館」です。古戦場を巡る前にここを訪れると、あとで見る風景の意味が大きく変わります。何もないように見えた場所に、「ここに軍がいた」「ここから攻めた」という流れが浮かび上がってくるからです。
館内では、床面に設置された巨大スクリーン「グラウンド・ビジョン」で、戦いに至る経緯や戦況の流れを俯瞰して理解できます。続いて、縦4.5メートル、横13メートルの曲面スクリーンの「シアター」へ。武将たちの視点で描かれる合戦の映像は、単なる歴史の説明ではなく、「その場にいたらどう見えたのか」を想像させてくれます。

ここで得たイメージを持って外に出ると、静かな風景がまったく違って見えてくるはずです。

5階の展望室からは古戦場を360度見渡すことができます。武将たちが陣を構えた場所の位置や、戦場の広がりを一望できます。

体験 関ケ原笹尾山交流館 甲冑体験で戦国武将になってみる

関ケ原の要所のひとつ、笹尾山のふもとにある関ケ原笹尾山交流館では、戦国武将の甲冑体験ができます。甲冑を実際に身につけてみると、その重さに驚かされます。数キロどころではなく、動くだけでも体力を使います。この装備で戦い、山を登り、判断を下していたのかと思うと、戦国の「リアルさ」が一気に迫ってきます。見えない戦場に、想像していた戦いが、急に現実の重さを持って迫ってきます。

徳川家康の重臣・本多忠勝に変身

西軍・東軍の武将が勢ぞろい。本多忠勝(右端)は兜を着用したかったですが、重さ約12kgのため断念。烏帽子姿での参戦となりました。取材当日は雨。古戦場を歩くことはできませんでした。1600年の関ケ原の戦い当日も、朝まで雨だったと伝えられています。

史跡① 笹尾山 石田三成陣跡

笹尾山に登ると、関ケ原の盆地が一望できます。視界は広く、敵の陣との距離も意外なほど近く感じられます。
ここは西軍の石田三成が陣を構えた場所。ここから戦場を見ていたと考えると、武将たちが、どのように状況を見極めていたのか、想像が少しずつ具体的になってきます。


西軍の石田三成が陣を構えた笹尾山。現在は石碑が建ち、国史跡として整備されています。

史跡② 岡山(丸山)烽火場 戦いの幕開けを告げた場所

東軍の黒田長政と竹中重門が陣を置いた場所です。岡山の烽火場へ向かう道は、静かな竹林の中を進みます。あまりにも穏やかで、これから戦いが始まる場所とは思えません。しかし、この場所からのろしが上がり、戦いが始まったのです。

岡山(丸山)烽火場へ向かう山道。竹林の中を登っていくと、関ケ原盆地を見渡す烽火場にたどり着きます。

イベント 関ケ原合戦の日イベント

毎年9月15日、関ケ原町では「関ケ原合戦の日」にちなんだイベントが開催されます。午前8時、ホラ貝の音とともに岡山烽火場からのろしが上がります。関ケ原鉄砲隊による演武等も行われます。

関ケ原への行き方

JR東海道本線「関ヶ原駅」 岐阜関ケ原古戦場記念館までは徒歩約10分

・名古屋駅 → JR東海道本線で約45分
・京都駅 → JR東海道本線で約1時間20分

関ケ原の古戦場は、JR関ヶ原駅から徒歩で巡ることができます。記念館を起点に史跡を巡る散策コースも人気です。

関ケ原には、派手な遺構はほとんど残っていません。だからこそ、この場所では想像することが必要になります。静かな風景の中で、かつてここにいた人々の動きや決断を思い描く。この“見えない戦場”で、あなたは何を感じるでしょうか。

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ライター
HARA Yoko
元att.JAPAN編集長。日本各地を旅し、日本の魅力を再発見中。連なる山々を眺めながらコーヒーを味わう時間が、何よりの楽しみ。