
伊根には、2時間しかいられなかった。
出張の合間だった。どうしても一度見ておきたくて、無理に予定をねじ込んだ。伊根から戻るには京都経由で約6時間。その日のうちに東京へ戻りたかった私は、バスを逃してはいけないという緊張感を、終始抱えたままだった。
天橋立から伊根へ向かうバスの車窓。右手に松林が長く続き、それが途切れたあとで、「ああ、今のが天橋立だったのか」と気づいた。歩いて見るものだと思い込んでいたが、車窓からの風景も十分に美しかった。

伊根に着くと、空は曇っていた。薄曇りの弱い光。ときどき雲の切れ間から太陽がのぞく。晩秋の空気は冷たいが、凍えるほどではない。コートがちょうどいい。雨が降りそうな、しっとりとした湿度。水分を含んだ空気が、景色の輪郭をやわらかくにじませ、全体を淡い水彩画のように見せていた。

観光客の声が聞こえる。イタリア語だろうか。船頭さんが、船に乗るように声を張り上げている。舟屋の前では、女性が屋内と外を行き来しながら何度もポーズを変え、男性がそれを楽しそうに撮影していた。平和で、穏やかな時間が流れていた。

週末は混むと聞いていたが、思ったほどではなかった。もちろん空いてはいない。ただ、東京の日常的な混雑に慣れている身にとっては、過剰な人波とは感じない。それでも、舟屋沿いの細い道を、人と車が行き交うのはどこか落ち着かない。

土地勘のない場所で、行動範囲がほぼ決まり、皆と同じルートを歩かなければならないとき、私は時々、退屈を感じてしまう。せっかく旅に出たのに、つまらない、と。それでも、海から見る舟屋の風景は、不思議と心を落ち着かせた。自分が住んでいたわけでもない場所に、懐かしさを覚える。日本人のDNAなのだろうか。どこか記憶の奥にある風景なのかもしれない。

水辺の景色は、どうしてこんなにも人を惹きつけるのだろう。水面がすれすれにある景観。自然であっても人工的であっても、その近さが安心感をもたらす。ヨーロッパ旅行から帰国したとき、乾燥した空気から日本の湿度に包まれた瞬間、体がほっとしたことを思い出す。日本は、水気のある国なのだ。そして私の身体も、この湿度を求めているのだと思う。

くつろぎたい気持ちと、時間を気にする緊張感。そのあいだで、伊根を駆け足で巡った。本当はもっと、リラックスした状態で滞在できたら、感じ方も違ったのだろう。けれど、下見だと割り切る旅も悪くない。伊根は、再訪リストに入った。次はここに泊まり、夕日や朝日を眺めたり、のんびりとカフェで過ごしたい。
そう思えただけで、この2時間は、十分だったのかもしれない。
