高山
高山
紹介
高山は歴史的にも地理的にも特別な町だ。飛騨の山々に囲まれた陸の孤島でありながら、江戸の文化と京都の伝統をあわせもっている。江戸幕府直轄の天領だった歴史、そして権力と財をなした旦那衆の存在が高山の町には見え隠れしている。古い町並みが残る高山の町。昔ながらの通りには、江戸時代から続く人々の暮らしがある。
東京から高山へのアクセスは、新幹線でJR東京駅からJR名古屋駅へ。JR名古屋駅で特急に乗り換えて高山駅下車。または高速バスで新宿高速BTから高山駅前まで。 空路なら、直接中部国際空港セントレアへ入り、いったん名古屋駅に出て、JR名古屋駅から特急で高山駅まで。
高山駅前には観光案内所があり、英語・中国語(繁体・簡体)・韓国語のパンフレットもあるのでもらっておくと便利だろう。
高山の歴史
町の東側の小高い丘は、高山城跡。かつては三層の天守閣を持つ城があった。
飛騨の国は山におおわれ、文化の流通も少ない地域だったが、1585年、豊臣秀吉の命による金森長近の飛騨攻略の後、高山城の築城、開発が進められた。初代高山城主、金森長近は、町の四方の街道を整備し、街道の入口には武家屋敷を置き、城下町をつくった。町屋敷の通りは宮川の流れに沿ってほぼ並行に南北に走り、東の江名子川との間は、いわば天然の堀に囲まれた一帯となった。城下町高山を中心に上方、江戸、北陸への交通路も開かれた。
長近がはじめに造った町屋敷が一之町から三之町で、三つの町はあわせて三町と呼ばれる。力をつけた商人たちや伝統工芸の技を受け継ぐ職人たちが高山文化を熟成させることとなった場所だ。
1692年に飛騨国は天領となった。天領とは江戸幕府の直轄地のこと。領主だった金森氏は東北の地へ去り、山の上の城は取り壊された。武家屋敷は町人に払い下げられ、城下町は町人の町となった。飛騨の国が天領となったのは、1657年の江戸大火により幕府が豊富な山林資源を確保する必要に迫られたためと考えられている。
執政の場となる建物は、役所・役宅を総称して陣屋と呼ばれる。陣屋の行政も林業経営が中心となった。材木は飛騨川を1本ずつ下流の綱場まで流され、そこで筏に組まれ、名古屋の白鳥港や桑名港をへて江戸に回送された。
高山は今も宮川の東に出格子の美しい町人町のあとをとどめている。天領の中心として商品経済をその手ににぎった高山町人たちは、三町といわれる一之町から三之町に集中。彼らは茶・たばこ・古手などの日用品から特産の鉛・煙硝・漆器などを扱った。
上三之町(かみさんのまち)
上三之町は昔ながらのたたずまいを残す町で、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。金森氏が作った町の形がそのまま残る通りは、高山のイメージともなっている。通りの長さは約400m。両側には、老舗の料理屋、伝統工芸品、みやげ物屋、美術館などが立ち並び、歩く楽しみはつきない。
上三之町だけでなく、一之町や二之町の通りにもそれぞれ特色がある。
上一之町の南にあるのが、かつて高山城のあった小高い城山。乗鞍岳、槍ヶ岳、穂高連峰、白山といった3000m級の山々の連なりと、高山の市街地を見渡せる。飛騨は山国、高山は山の都と思い知る。
町の東の寺町は京都の東山を手本に作られた。金森家ゆかりの寺からなり、戦国時代から江戸時代の建築物として価値のあるものが多い。この寺院群の一番北を基点にし、高山城跡のある城山、飛騨護国神社へと続く道は東山遊歩道として整備された散策路。素朴な自然を楽しむことができる。
高山陣屋
中橋近くの立派な門構えは、高山陣屋。177年間にわたる天領時代の高山の歴史を語る、国の史跡だ。陣屋としては全国で唯一現存する貴重な建物。陣屋とは、郡代・代官の役所、役宅、御蔵、御門などの総称。49畳の大広間、吟味所、白洲、役宅の居間、座敷、茶室、美しい庭、米倉などがある。
受付で申し込めば、無料で説明案内を受けることができる。所要時間約1時間。英語対応もできるが、予約しておいた方がよいだろう。
飛騨国分寺
奈良時代の古刹。建立は746年。国家の平安を願って建てられた。三重塔は江戸時代の再建。高山の町が城下町、天領として栄える戦国・江戸時代よりもはるか遠い昔を振り返る史跡だ。
高山の朝市
高山陣屋の前の広場には朝市の店が立ち並ぶ。泥のついた朝採りの野菜、生花、漬物などがにぎやかに並ぶ。幼子のために女性たちが作ってきたこの土地のマスコット、赤いボディに腹掛けをしたサルの赤ちゃん人形「さるぼぼ」も並べられている。
一方、鍛冶橋のたもとから宮川に沿って延びる通りでは宮川朝市がたつ。野菜や果物などの食料品を並べるほか、観光客向けの民芸品も見られる。
いずれも朝6時頃からはじまり、12時には店じまいをする。
桜山八幡宮周辺
桜山八幡宮は、高山の北側を警護する守護神として崇められた神社。老杉に囲まれた総檜造りの社殿は荘厳。秋の例祭では表参道での屋台曳き揃えがすばらしく、秋祭最高の見せ場となっている。
屋台会館では、秋祭の屋台11台のうち、4台を交代で展示紹介。高山祭についての詳細を学ぶことができる。
300点の印籠を展示する印籠美術館。もとは腰に下げる薬入れだった印籠だが、江戸時代には蒔絵や彫り物、七宝などで装飾された華美なアクセサリーに変わっていった。繊細な細工が施された多彩な印籠の数々に目を奪われる。
八幡宮の氏子には高山でも指折りの豪商が多く、当時の豪商をしのぶ建物が、旧日下部家の日下部民藝館と吉島家住宅。堂々と立ち並ぶ重厚な町家で、飛騨の匠の技を随所に見ることができる。祭はそうした豪商たちに支えられてきた。
獅子会館では、飛騨を中心に全国から収集した獅子頭や、祭道具などを展示。伝統の人形からくりを1時間に2-3回上演している。
桜山八幡宮の周辺は、江戸時代には、屋台に名を残す多くの職人が住んでいた。そんな職人たちが祭を支え、現在でも彫師、春慶塗の塗師、家具職人といった職人たちが活躍している。
高山祭
春の山王祭と秋の八幡祭の2つを総称して高山祭という。長い冬が終わり、木々が芽吹きはじめるころ、高山の人たちは祭で春の訪れを知る。そして木々が真紅に染まる秋。日枝神社の例祭である山王祭は4月14・15日、12台の屋台が曳き揃えられる。桜山八幡宮例祭の八幡祭は10月9・10日に行われ、屋台は11台。京都の祇園祭、埼玉の秩父夜祭と並び、日本三大美祭のひとつとされる。
祭の主役は屋台。山林から富を得た豪商たちが競って金を出し、「飛騨の匠」と呼ばれる優れた大工、彫師、塗師、金工師などの技があいまって、豪壮にして華麗な高山屋台が誕生したのである。
高山の町人文化
飛騨の匠、といわれるように、この地方はふるくから建築・木工芸で知られた。今に残る日下部家、吉島家などの建築は飛騨大工の優秀さを如実に物語る。匠は木工だけでなく彫刻にもすぐれた技を持っていた。京都の祇園祭にならぶ高山祭の屋台はこれらの華麗な彫刻や精巧なからくりなどによって飾られる。
また、高山は金森氏時代から茶の湯のさかんな土地柄であり、春慶塗も茶道具にもちいられ、現代に至るまで高山の特産として知られる。
高山の商人たちは、江戸時代中期から商品経済の波にのって、着実な経営をみせ、この地方第一の町をきずきあげた。特産の鉛、煙硝などから米、糸、木綿古着類、さらに金貸しにおよぶ多角経営をしていた豪商は、売上がある程度を超えたら別家に分配すること、よい田地を確保することなどの家訓を残しており、着実な高山商人の気質がうかがえる。
高山町人の力と文化は、23台の高山祭の屋台に結集している。高山陣屋の役人たちによって江戸の文化が持ち込まれ、そのなかで始まった高山祭だが、次第に京都の祇園祭を模倣することとなった。匠の技術による精巧な彫り物とからくりが屋台をかざり、高山の町人たちはこれを「動く陽明門」と誇ったという。
飛騨の里
JR高山駅からバスで10分。高山市の西部、松倉山のふもとには、飛騨の自然を活かした多彩な観光スポットが広がる。飛騨の里では、合掌造りをはじめ、飛騨各地の民家を展示する。のどかな時代の飛騨の山村が再現されている。荘川村にあった旧若山家や金山町にあった旧田口家など国の重要文化財4棟をはじめ、30あまりの代表的な民家が立ち並ぶ。
飛騨のあじ
朴葉の上に味噌と材料(肉や野菜)をのせ、コンロで焼く朴葉焼。朴葉の香りと香ばしい味噌の味が絶妙。トロリととろけそうな食感は飛騨牛。口の中に豊潤な味わいが広がる。
URL | https://www.hidatakayama.or.jp/ |