熊野の火と海:御燈(おとう)祭りと楯ヶ崎を巡る旅
Release
05 March 2026
Update 09 March 2026

和歌山県新宮市で毎年2月6日に行われる御燈祭り。
闇を裂く炎の迫力と、熊野灘を望む楯ヶ崎の大絶壁。火と海、そして神話が交差する熊野の旅。
闇の中、炎を手にした男たちが山を駆け下りる。和歌山県新宮市で毎年2月6日に行われる御燈(おとう)祭りは、1400年以上続く熊野を代表する火祭りだ。
御燈祭りの翌日、私は海へ向かった。目指すのは三重県熊野市の楯ヶ崎。柱状節理の大絶壁が熊野灘に突き出す場所だ。
炎の祭りと太平洋の絶景。熊野の自然信仰をたどる旅が続く。
なぜ男たちは、この祭りに何度も戻ってくるのだろう。火にはどんな力があるのだろうか。
その答えを知りたくて、私は再び熊野へ向かった。
▶前回の記事
御燈(おとう)祭り、理解不能な熊野の火
https://att-japan.net/ja/wakayama-kumano_260104/
御燈祭り(和歌山県新宮市)

毎年2月6日、熊野速玉大社の元宮・神倉神社で行われる御燈祭り。白装束の男衆が燃えさかるたいまつを手に、急な石段を一気に駆け下りる、熊野を代表する火祭りだ。火の粉が夜空に舞い、男たちの怒号が飛び交う。山が揺れているかのような迫力がある。

夕暮れどき、白装束の男たちが町を闊歩し、熱気が高まっていく。

やがて日が落ちると、男たちは暗い神倉山の中へと消えていった。この祭りの中心となる参加者は「上り子」と呼ばれ、山上で火を受け取った男たちが担う。女性である私は、その輪の中に入ることはできない。

再び静けさと闇が広がる。

たいまつを持った男たちが山を下りてくる様子を見るなら、神倉山の麓・太鼓橋付近がおすすめだ。私は、「下り竜」と呼ばれる炎の列を遠望しようと、少し離れた国道42号線近くで待機した。
やがて山の上が赤く燃えはじめ、怒声と喧騒が風に乗って届く。すぐ近くにいるわけではないのに、遠くの火が確かにそこにあることがわかる。建物にさえぎられながらも、赤々とした山上の火はどこか神々しい。

現在は木々に阻まれ、「火の竜」が下ってくる姿をはっきりと見ることは難しい。世界遺産登録エリアに含まれているため、景観維持の観点から伐採が制限されているという。闇に流れる火の竜が見えないとき、観客はどのように火を感じればよいのだろうか。
地元の女性は、上り子の準備を手伝い、戻ってきた男たちの無事に感謝すると語ってくれた。この祭りには、それぞれの立場で関わる人たちがいる。
地元の人ではない観光客に、この祭りの醍醐味をどう伝えればよいのだろうか。火を持って山を下りることのできない立場から、この祭りをどう感じ取ればよいのか、私は少し考え込んでしまう。
この祭りの本質は、火の熱を肌で受けてこそ完結するのだろう。

山は燃え、火は下りてくる。
石段を駆け下りてきた男たちの顔は煤にまみれ、安堵と誇らしさに満ちていた。

神倉山の喧騒が去ると、新宮のまちは深い闇に包まれていた。
熊野では、山の信仰はやがて海へと続いていく。
楯ヶ崎(三重県熊野市)

御燈祭りの翌日、私は三重県熊野市の楯ヶ崎を訪れた。駐車場から片道約40分の遊歩道を進む。森を抜け、岩がむき出しになったトレイルを越えていく。遊歩道という言葉から想像するよりも、本格的な山道だ。

ゴツゴツとした岩場の急坂を下る途中、鹿に出会った。
下りきった先が二木島湾。阿古師神社が建ち、眼下には透き通る海が広がる。

山道を登り切った瞬間、視界が一気に開けた。

柱状節理の大絶壁・楯ヶ崎が現れる。
高さ約80メートル、周囲約55メートルの巨大な岩塊だ。崖の縁に立つと、足元から熊野灘の海が大きく広がる。熊野灘に楯を並べたように見えることから、楯ヶ崎と呼ばれるようになった。
曇り空の下、鈍いグレーの海が広がる。その先には、太平洋の水平線が続いている。
楯ヶ崎は、日本神話における初代天皇・神武天皇上陸の地と伝えられている。神武天皇は、日本建国の祖とされる人物で、九州から東へと進軍する「東征」の途中、この熊野の海岸に降り立ち、やがて大和へ向かったという。
荒波の向こうに、日本のはじまりの物語が重なる。

帰り道と甘味
楯ヶ崎からの帰りは、熊野市駅近くの飲食店「ほくしょう」へ。朝どれの地魚を使った刺身は新鮮で、エンガワの肝は濃厚でとろけるようだ。魚介出汁をぜいたくに使ったラーメンも人気だという。
お土産は老舗和菓子店・志ら玉屋の「志ら玉」。米粉の皮に包まれたこしあんの餅で、もっちりとした食感が特徴だ。
火も、海も、神話も、そして食も。熊野は五感すべてで味わう場所である。
御燈祭り
開催場所:和歌山県新宮市
開催日:毎年2月6日
楯ヶ崎
所在地:三重県熊野市(二木島町)
アクセス:JR熊野市駅から車で約30分+遊歩道徒歩約40分
特徴:高さ約80mの柱状節理の大絶壁。熊野灘を望む絶景スポット。国の名勝・天然記念物。
ほくしょう
所在地:三重県熊野市(熊野市駅近く)
ジャンルと特徴:海鮮料理・ラーメン。地元熊野灘の朝どれ地魚を使用。魚介出汁のラーメンが人気。
志ら玉屋
所在地:三重県熊野市
ジャンルと特徴:老舗和菓子店。米粉の皮でこしあんを包んだ「志ら玉」餅
エピローグ
御燈祭りの神髄に触れようと構えた旅だった。しかし結局、歩き、食べ、甘味を買い、満足して帰ってきた。旅は思い通りにいかないものだ。
山から海へ。森から海へ。熊野の奥深さは、一度では掴みきれない。だからこそ、また訪れたくなる。
熊野から東京に戻った数日後。夜の六本木で、ジェネシスのトリビュートバンド・Musical Boxのライブを聴いた。
都会のざわめきの中で、なぜか熊野の漆黒の闇を思い出した。
静寂からゆっくりと立ち上がる音。
やがて狂気と美しさが絡み合い、最後に爆発する。
御燈祭りもまた、静かな闇から始まり、最後に炎が山を駆け下りる。火祭りの背後にプログレの予測できない音が重なったとき、熊野の火と闇の風景が、音の中でよみがえった。

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元att.JAPAN編集長。日本各地を旅し、日本の魅力を再発見中。連なる山々を眺めながらコーヒーを味わう時間が、何よりの楽しみ。