冬の流氷が美しい。美しい網走湖や能取湖の自然、国内最北端の刑務所である網走監獄でも有名。
網走
オホーツク海の流氷
日本では知床から稚内にかけての道東沿岸でしか見ることのできない氷の海。オホーツク海は南北約2000kmの細長い海で、冬はその80%が結氷し、見渡す限りの凍った海になる。道東沿岸はオホーツク海の最南端にあたり、世界でもっとも低緯度の海氷が見られる。
北海道のはるか北、全長4300kmの大河、シベリアのアムール河は大量の真水を海に流し込む。真水は海水より軽いので、海表面に広がり、氷点下1.7度で凍り始める。どろどろとした氷泥が生まれ、氷盤と呼ばれる円い形になり、それがぶつかり合ってふちのめくれた蓮葉氷が誕生。風に吹かれ、潮流に乗り、1000kmの長旅をしたのち流氷となって道東沿岸に押し寄せるのだ。
流氷観光のポイントは網走と紋別。紋別からは195人乗りの砕氷船「ガリンコ号Ⅱ」、網走からは450人乗りの「おーろら」で観光する。砕氷船は氷に埋め尽くされたオホーツク海を氷を砕きながら進む。流氷観光にはひがし北海道エクスプレスバスが便利。
博物館網走監獄
網走刑務所ができたのは1890年。不当であったが、中央道路の開削工事の労働力として囚人を収容するためだった。終身刑69人、無期362人を含む1200人が、当時総人口630の網走の町に送り込まれた。ロシア南下政策に備えた軍用道路として工事が急がれ、通常の4倍のノルマ。作業の囚人は2名ずつ足を連鎖で縛られたまま、深夜の12時、1時まで働かされた。過労と睡眠不足、乏しい食事で死者は200人を超えたという。そのほか、多くの北海道の幹線道路は受刑者たちによって開削された。第二次大戦の戦前・戦中は大物思想犯も送り込まれ、戦後しばらくは重罪人が多かったが、現在は短期刑が多い。自給自足を旨としていたので、味噌、醤油などの生活必需品はもちろん、田畑を耕し、自分たちが服役する監獄の建物も受刑者たちが自らの手で作り上げた。当初の刑務所は山火事の延焼で一部を除いて焼失。その後建てられたものは、老朽化で1973年に全面改築された。
約20の当時の建造物が博物館網走監獄に移築・保存されている。服役中の様子が実物大の人形で再現されている。鏡橋を渡ると、赤レンガのいかめしい正門が見えてくる。五翼放射状平屋舎房は、中央見張りを中心に、5棟が放射状に広がっている。中に入って見学できる舎房もある。好奇心とともに、ちょっとぞっとする空間だ。
サロマ湖
ホタテやカキの養殖では日本有数の産地。珍しい高原性の野生植物も花を咲かせる。散策、サイクリング、釣りなど楽しめる。
小清水原生花園
オホーツク海とトーフツ湖に挟まれた約8kmの細長い丘陵地帯。野生の花々が咲く自然の花畑。JR原生花園駅すぐ。
住所 | 北海道斜里郡小清水町字浜小清水2番 |
URL | https://www.town.koshimizu.hokkaido.jp/sightseeing/detail/00007014.html |