変化し続ける三重の伝統:鈴鹿墨

日本の伝統的な墨は、伝統的な水墨画や書道などの何らかの形で目にしたことがあると思います。およそ1,300年にわたり、煤、にかわ、天然香料というたった3つの素材が組み合わされ、絵や文字を通して人々の考えや願いを表現する媒体となっています。三重県産の鈴鹿墨もその一つで、その品質の高さ、奥行き感、色合いの豊富さが賞賛されています。その美しい色合いや使いやすさから、長年にわたり日本中の書道家に愛されてきました。

鈴鹿墨とは?

三重県鈴鹿市は資源の豊富さから、平安時代(794年~1185年)より墨の生産の中心地でした。鈴鹿の松は燃やすと良質の煤を生み、水質は、動物の骨や皮から作られている“にかわ”の粘度を出すのに特に適しています。その煤をにかわと天然香料と合わせて棒状に成形します。その工程はほとんどが完全に手作業で行われ、長く手間がかかります。完成した墨は少量の水を加え硯で擦り、絵や文字を書くのに適した硬さにします。

鈴鹿墨職人 進誠堂

今日では墨を使って文字や絵を描く人は少なくなってきており、墨を製造する会社も減っています。現在、鈴鹿の墨の伝統を受け継いでいるのは、鈴鹿市の進誠堂だけです。進誠堂は、伊藤亀堂氏とその息子である伊藤晴信氏が経営しています。

大きな労働力を要する墨作りには様々な工程があり、最高の品質を確保するために全て手作業で行われます。初めから終わりまで、墨は制作に長い時間がかかります。制作工程の多くが天候状況に左右されるので、職人は毎日のように調整しています。にかわは熱や湿度でだめになりやすい為、製造期間は限られており、涼しい秋から春にかけてのみ行われます。

多くの人は、墨の色は黒一色、またはあっても数種類しかないと思っています。しかし、お客様に喜んでもらうための進誠堂のたゆまぬ革新と推進により、現在約100~150種類の色の墨を取り揃えています。一見単色に見えるものも多いですが、近くでよく見るとかすかに赤や紫、青などの色が入っています。また進誠堂は、光に照らされると輝くオレンジ、ピンク、青などの鮮やかな色合いのシリーズを開発してきました。これらは、目を引く多彩な色を作るために天然顔料を使っており、これでアーティストは伝統的な墨で作る作品と変わらない完璧な品質の、新しく刺激的な作品を作ることができます。

鈴鹿墨を愛するアーティスト

鈴鹿墨を求める世界中の書道家や画家たちは、鈴鹿墨は手に入れられる最高の墨のひとつであると言います。独自の描画方法を伝統的な水墨画の技法に組み入れた画家、垂井ひろし氏もそのうちの一人です。モータースポーツファンを自称する彼の作品の多くは、モータースポーツの世界をテーマにしたもので、F1やGTのレースカーが描かれています。日本のモータースポーツファンの聖地である鈴鹿サーキットで定期的に作品展を開催していました。

垂井氏は、鈴鹿サーキットで偶然にも鈴鹿の墨と出会い、それが鈴鹿墨を愛するきっかけになりました。鈴鹿サーキットのスタッフからその墨の話を聞いたあと、彼はすぐ進誠堂に電話をして、絵を描くのに使いたい色合いの墨を探しました。伊藤亀堂氏は上品な半透明の青みがかった黒い墨である「凛」という色を勧めました。この色合いは、彼が伝えたかったモータースポーツのスピード感や雰囲気を表現するのにぴったりでした。垂井氏はそのすばらしい透明感や、職人と直接相談できることから、進誠堂の墨を使い続けています。今では、垂井氏のために特別に作られた松煙墨を主に使っています。

伝統的な画法と現代のハイオクタンのスポーツというテーマの垂井氏独自の融合は、オンラインや外国人観光客に日本を紹介するフリーマガジン『attJAPAN』の表紙で見ることができます。

三重県の観光スポットを描いた作品もあります。

進誠堂と垂井氏はどちらも、伝統的な手法と新しく刺激的なアイデアを融合させながら、それぞれの作品を進化させ続けています。彼らが次に何を考えつくかは、さらなる進化に期待しましょう。

 

この記事は「三重県観光連盟公式サイト観光三重」からの転載です。
https://www.kankomie.or.jp/en/report/detail_188.html

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このページの情報は 2021年10月の情報です。

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