平泉

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みどころ

-平泉

およそ900年前、多数の寺院や庭園を有する優雅な都が平泉に造営され始めた。平泉は、奥州藤原氏が築き上げてきた平泉黄金文化の中心地。かつての日本の仏教文化の最先端はここにあり、藤原氏の支配する北東北は、事実上、当時の中央政府である朝廷から独立した国であった。奥州藤原氏は強大な武力と政治的中立を背景に、朝廷における政争とは無縁に、独自の政権と文化を確立。清衡、基衡、秀衡、泰衡と4代100年に渡って繁栄を極めた。平泉は、京から見ると、まばゆく輝く黄金の都であり、当時の都人は平泉に高尚なあこがれを抱いていた。

藤原秀衡は、源頼朝に追われた義経(1159-1189)を匿ったが、秀衡の死後、義経は自害。その後、1189年に奥州藤原氏は滅亡した。そのちょうど500年後の1689年、松尾芭蕉が平泉を訪れる。そこには往時の栄華はなく、旧跡は田野となってひろがっているばかりだった。 平泉の文化遺産は、世界遺産への登録が期待されている。幾多の戦乱や火災などのため失われた建築物も多いが、今も往時をしのぶ史跡が点在している。レンタサイクルで回るのもいい。

中尊寺: 850年、比叡山延暦寺の慈覚大師が開山したといわれ、12世紀初めに藤原清衡によって大規模な建設が行われた。1124年に金色堂が建てられる。屋根を除く全てに金箔が押され、奥州藤原氏の権力と財力の象徴とも言われる。約3000点もの国宝や重要文化財の多くは、宝物館である讃衡蔵に収蔵されている。

毛越寺: 奥州藤原氏の二代基衡が建立を進め、三代秀衡が完成させた。度重なる火災で焼失したが、壮大な伽藍と庭園の規模は京のそれを凌いだと言われている。大泉が池を中心とした典型的な浄土庭園は、最も美しい平安時代(794-1185頃)の庭園といわれる。

-厳美渓・睨鼻渓 磐井川の約2kmにおよぶ渓谷が厳美渓で、国の天然記念物に選定されている。散歩道が整備されているので、樹林の間を散策しながら眺められる。睨鼻渓は砂鉄川の渓谷で、高さ100mの断崖絶壁が約2km連なる。舟下りの舟が出ている。

このページの情報は 2019年2月の情報です。
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